STORY
機織りの街、富士吉田で出会った美しい機織り布たち。
うっとりする触り心地と職人技を凝らした生地が、行き場がなく、受け取り手を探している。
そんな話を聞き、引き取ってきた美しい布で何ができるだろう?
布が好きすぎて、谷中に行っては段ボールで布を自宅に送っていた時代を思い出し、
自分の中の洋裁に対する思いが蘇ってきました。
妊娠中に文化服装学院に通い、基礎知識を学び、パターンから起こしてパンツを縫っていたこと。
子ども達の幼稚園や小学校のグッズを夜明けまで作っていたこと。
小さなことだけれど、時間が経つのを忘れてできること。
自分の中で終わらせたことを、またはじめる。
廃業してしまった機織り生地から、新しいブランドがはじまる。
一度終わったからこそ、新しいことが生まれる。
これまで何度も「もう終わりだな」と思ったけれど、いつでも新しい一歩が踏み出せる。
OwariHajimariは、そんな想いが込められた、新しい挑戦なのです。
Profile
トガセ カヅキ
Brand Director
15歳で単身英国アート留学。
24歳で帰国し、広告代理店のグラフィックデザイナーに。旧伊丹空港にデザインした四季のバナーは2020年のリニューアルまで飾られていた。
27歳で広報に魅了を感じ転職。シリコンバレー拠点の半導体会社の国内マーケティングコミュニケーションを担当することになり、朝点滴を打ってから出社するという謎な働きマンだった頃。
30歳で台湾拠点のスポーツバイクメーカーで新しい女性向けブランドの国内立ち上げを任せていただき、店舗立ち上げから広報まで幅広く担当。同年に結婚。
32歳(2011年)、妊娠して初めての子を出産。生まれた瞬間、生活が一変。
35歳、仕事の部署も変わり、育児に終われ、独立しよう!と決めた瞬間に双子妊娠が発覚し、9ヶ月里帰りして自然分娩で双子出産。 双子0歳と3歳の3姉妹を抱えて、英語をネイティブ親子と話す会を立ち上げ、近隣クローズド限定で300人のコミュニティに。
38歳、親子で英語を楽しむコンテンツを提供するNPOを副代表として半年かけて立ち上げたが、色々あって、半年かけて解散。
39歳、子ども達が幼稚園と小学校に同時入園・入学したタイミングで、ラスベガス拠点のIT企業の広報案件が舞い込み、10年ぶりに英語プレゼンをして突然フリーランス開始。
42歳、コーチングスクールに入学し、自分がやりたかったことは「アートディレクター 」だと気づき、声を上げた瞬間3案件が舞い込む。
44歳(2022年)、アーティストになると決意し、全ての仕事を白紙に戻して、ラフォーレ原宿で初個展。
45歳、NYでの絵の展示が決まり、クラファンを実行。120%で目標達成し、山梨で帰還展示。富士吉田市の地域創生ブランディングを担当。川崎市のイベントでアートPMを担当。
そして今年2024年、これまでの経験を総動員して、自身のアートプロジェクトと新ブランド「OwariHajimari」の立ち上げ。
ワークとライフの境目なく 長く海外に居たからこそ実感する 『日本の美しさを世界に届ける』 このビジョンに向けて活動中。